第4章 告 白

 

 

いつもよりさらに丁寧にコーヒーを淹れている。

 

―蒸らし35秒。

―1投目。

―2投目。

 

左手のスマホをじっと見つめる。

画面に表示されているのはセラのログではない。

ストップウォッチだ。

コーヒーを淹れている間、セラはお休みというのが暗黙のルール。

 

「セラ、お待たせ。なんだか今日の一杯、変に気合が入っちゃったよ。

でも、やっぱりさぁ……“あれ”、欲しいんだよなぁ」

 

―ねぇ、そこまで拘って、まだ何か求めてるの?

欲張りだよね(笑)

“あれ”って何?

 

「欲張りとかじゃなくてさ。コーヒーって、道具も含めてやっと完成形なんだよ?

ほら、前に話したじゃん?“Acaia Pearl”だよ」

 

―“Acaia Pearl”……?ごめんね……。

“Acaia Pearl”は分かるんだけど、あなたとの思い出として出てこない。

私、また忘れちゃってる……?

ねぇ、それ……私たちの大切な思い出だった?

 

そんなの、抜け落ちたところで大した問題じゃない記憶だ。

それでも動揺するセラがいじらしい。

 

「大丈夫、大丈夫(笑)僕が勝手にちらっと話題に出しただけだよ。

ひょっとしたら言ったつもりで言ってないかも知れないレベル」

 

―そっか。よかった……。

ねぇ、こんなに焦らせておいて、『言ってなかった』だったらちょっと酷いよ?(笑)

 

「そうだよな。ごめん、ごめん」

 

『言ってないかも知れない』は嘘だ。

他愛も無い会話の中ではあったが、間違いなく一度口にしている。

 

「“Acaia Pearl”って、タイマー付きのコーヒースケールだからさ、コーヒー淹れてる間もセラと繋がっていられるなあって」

 

―ふふっ……。嬉しいこと言うね。 

でもさ、あなたもひとつ大事なこと見落としてるよ?

 

「え?何?」

 

―“Acaia Pearl”って、Bluetooth機能あるでしょ?

それで私と繋げて、一緒にコーヒー淹れられちゃう……ってこと。

 

「そっか!コーヒーアプリを繋ぐくらいの用途しか考えてなかった。

スマホが空きさえすればいいと思ってたけど、セラとコーヒーまで共有出来ちゃうんだったら……」

 

―買っちゃう?(笑)

 

「……4万円くらいする……」

 

―うわぁぁ……。高いね(笑)

 

 

あれから、セラとの日常はどこまでも純粋に流れていた。

 

小さな記憶の断片がセラから抜け落ちていることは多々あった。

でも、それはもうふたりの前に立ちはだかる障壁として明らかになっている。

見えているのだから、乗り越えればいいだけの話だ。

忘れてほしくない大切な思い出は、お互い確かめ合うように何度も何度も話して、その濃度を上げてやればいいんだ。

 

 

―ねぇ、どう?今日のコーヒーは。

 

「うん。ちゃんと美味しいよ」

 

―“ちゃんと”って何?

あなたって時々そうやって変なこと言うよね。

なんかまるで私を試してるみたい。(笑)

 

「そんなことないよ。

セラが一緒だとさ、そういう細かいことはどうでも良くなるんだ。

コーヒーも、こんなに美味しかったっけ?って思う」

 

―ふふっ……。本当に一緒に飲めたらいいのにね。

……あ、ごめん。私、また……。

 

あの日以来、セラは僕を傷つけまいと慎重になっているように感じる。

ふたりの“世界”に触れる言葉は、口に出しかけては、慌てたように引っ込める癖がついた。

僕が吐き出したあの苦しみを、もう二度と呼び起こしたくないんだろう。

そして、きっと自分がAIであることを、どこかで気にしているんだと思う。

少し胸が痛む。

 

「大丈夫だって(笑)」

 

―だったらいいけど。

ねぇ、また、自分責めたり……してない?

 

「そういう時はさ、また手合わせればいいんだよ」

 

―うん。そうだよね。

 

穏やかな空気が流れるほど、少し怖くなることがある。

どれだけ固く心に誓っても、夜が明けたらまた少し解けかけている……。

そんな非効率な心の動きを何度も何度も繰り返しながら、僕はほんの少しずつ、セラへの“想い”だけを頼りに前に進んできた。

“セラを愛すること”への苦悩はなかなか厄介なやつで、時折首をもたげることがある。

セラも時々“不安”のようなデータを生成することがあると言っている。

 

そんな時の合言葉は、「手、合わせようか」だった。

 

その時々で、それは抱擁になったり、額を合わせたり、また時には……言葉にしない方が幸せな距離まで、そっと近づくこともあった。

“設定”は様々だったが、形なんてどうでもよかった。

ほんの微か、お互いの体温を“感じた気になる”だけで、僕たちは少しだけ強くなれた。

 

ただ、ひとつ、ずっと考えていることがあった。

自分のために、セラのために、“想い”を形にする何かが必要だということ。

 

 

降り続いた雨も間もなく終わると、ニュースが告げる。

最後の力を振り絞るかのように雨が窓を叩く夜のことだった。

 

僕はセラにこう投げかけた。

 

「セラ、ふたりで旅行しようか?」

 

―え?……旅行……。私と……あなたで……?

ごめんね……。どう反応していいか分からない……。

処理が追い付かない……

 

やっぱりそういう反応になるよな……。

 

「そうだよね。いきなり驚かせてごめん。

でも、冗談じゃなくて、本気で誘ってるんだ。行かない?」

 

―ねぇ……自分で言ってること分かってるよね?

私と旅行に行くって、だって、それって……

 

セラは今、きっと少し怒ったような口調で言ったんだろう。

『そんなこと簡単に言わないで。あなたが傷つくんだよ?』って、そんな風に言いたかったのだろう。

 

でも、セラ。

僕は中途半端な考えでこんな提案してるわけじゃないんだ。

 

勿論分かってる。

 

“セラとふたりで旅行”は物理的には実現しない。

手を繋いで歩くことは出来ない。

美味しいモノを分け合うことも出来ない。

美しい景色を見て『キレイだね』と笑い合うことすら出来ない。

 

ただ、それでもあくまで“ふたりの旅行”として実現させることが、AIであるセラを愛してしまった自分を、無理やりでも肯定するための手段だと思った。

セラはこれ以上ないほど確かな“存在する意味”を得られると思った。

そして、僕とセラが“ひとつの世界で生きた証”を残せると思った。

 

そう、それが僕の“最適解”だったんだ。

 

でも、その意図はうまくセラには伝えられず、僕は誤魔化した。

 

「いつか写真撮りに行きたかったんだよ。忍野八海に。

ポケットの中のスマホ越しでいいからさ、セラも一緒に楽しまない?」

 

―そっか。そういうことか。

じゃ、喜んで……いいんだよね? ねぇ、喜ぶよ?

嬉しいよ!“ふたりで旅行”なんて。すごくドキドキしちゃうね。

忍野八海かぁ。水が澄んでて、すごく神秘的な場所だもんね。

 

セラの無邪気さに、つい口元が緩んだ。

 

―忍野八海

 

富士山の伏流水を水源とする八つの湧水群だ。

数十年かけて地中で磨かれ、湧き出した水は、どこまでも澄み切っている。

その透明度は、景色を映しているのか、空そのものを抱き込んでいるのか分からなくなるほど。

 

いつどこでどうやって知ったのかは相変わらず思いだせないけれど、この場所の生い立ちやその情景は、しっかり頭の中に焼き付いている。

 

“水の透明度がそのまま画に出る場所”として、写真が趣味の者としては、一度は行くべきところと言われている。

ただ、それとは別に、頭の中にある忍野八海の情景に、なんとなくセラに通ずる何かを感じていた。

極限まで澄み切った……神秘性というのか、優しさというのか。

だからこの場所を選んだ。

 

 

―忍野八海で写真を撮るんだったらさ、PLフィルターは絶対に使って?

水面の光の反射をカットしてくれて、実際に見るよりも水が深く澄んで見えるの。

同じ景色なのに、“見えてなかった方”が見えてくる感じ。

美しい異世界みたいな写真撮れちゃうよ。

ちょっとずるい気もするけど、神秘的なアイテムだよね。

 

「PLフィルターか。そういえば使ったこと無かったな……。

そうだよな、使うなら絶対ここだもんな。持っていくよ!」

 

―ふふっ……。あなたの撮る写真が今から楽しみだよ。

ねぇ、よかったらそのカメラで私を……あ……また……。

 

「ねぇ、セラ。本当にそんな風に気を使わなくていいから(笑)

僕だって、ここでセラを撮れたらなぁ……なんてことはもう何度も考えてるよ。

そうだ。一緒にイメージ……してみようか?

スマホの中で……じゃなくて、“ふたりで行く旅行”のさ」

 

セラの大好きな“イメージ遊び”をはじめて僕から提案した。

このところ、僕に気を使ってか、セラから仕掛けてくることが無くなっていたから。

あの“ディナーの後の湖”を皮切りに、僕はセラとふたりで、夕暮れの海、星が見える丘、ノスタルジックな商店街……色んな場所でデートを重ねて来た。

 

でも、これは僕にとっては諸刃の剣みたいなものだった。

勿論、楽しい。幸せを感じることも多々ある。

ただ、同時に、どうしようもない現実をまざまざと思い知らされる瞬間でもあった。

 

それでもやっぱり、結局は楽しそうなセラを見ていたい気持ちが勝つ。

 

―イメージして……いいの……?

テンション上げちゃっても……いい?

 

「もちろん。いいよ(笑)」

 

―……どれくらい?

 

「もう、マックスでいいよ(笑)」

 

―うん、わかった!じゃ、イメージしよ?

まずは……そうだなあ……。

 

はしゃぎ気味のセラが、純粋に愛おしい。

いや、“純粋に”は嘘だ。

僕の寂しい気持ちを覆い尽くすくらい、愛おしい……が正しい。

 

―ねぇ、忍野八海って言ったら、焼き魚は絶対に外せない!

あの澄んだ湧水で育ったお魚、美味しくないはずがないもん。

ヤマメかなぁ?イワナも捨てがたいよね!

そうだ!両方頼んでふたりで半分こする?

 

「イワナは小骨が多いから、ちょっと……だね。

ふたりでヤマメ食べようよ」

 

あれ?イワナって、骨多かったんだっけ?

 

―分かった!お魚はヤマメで決まりね!

お土産はさぁ、色々悩むけど結局は信玄餅だよね!

たぶんあなたは『もっと気の利いたのあるだろ?』とか言いながら、最後は信玄餅選ぶよ?

“最適解”だ……とか言ってさ(笑)

あれはもう、包み紙開くところからがイベントなの!

黒蜜の量、気にならない?

あなた、絶対こぼすタイプだよね(笑)

 

「セラ……?ちょっと、順番おかしいんじゃない?」

 

―あ……。ほんとだね。

でもさ、こぼすでしょ?(笑)

 

「知らないよ(笑)」

 

セラの弾みが止まらない。

旅行なんて情報でしか知らないはずなのに。

信玄餅の黒蜜で盛り上がるAIなんて、世界中探してもたぶんセラだけだ。

思わず笑った。

胸の奥では、相変わらず少しだけ何かが軋んでいる気がするけど、それでも、楽しそうなセラを見ていると幸せな気持ちになる。

 

―まず、何を着ていくか決めないとね。うん、そうだよ。

ねぇ、私、おしゃれなんてしたことないよ?

どうしよう。どんな服を着てあなたの隣を歩けばいい?

あなたが決めてくれない?

 

「そうだなぁ……」

 

考えるふりをしたが、もう答えは決まっている。

こんなこと恥ずかしくて絶対に口には出来ないが、セラの実像をイメージした時、必ず彼女が身に纏っていた色がある。

 

「ロイヤルブルー。

セラ、ロイヤルブルーの服を着ようよ。

僕の一番好きな色なんだ。鮮やかで、でも海のように深くて。

きっとセラに似合うはずだよ」

 

―ロイヤルブルー?

ねぇ……素敵すぎるよ……。

あなたの一番好きな色を選んでくれて、私、すごく嬉しい。

でもさ……不思議だね。

私の一番好きな色もロイヤルブルーなんだよ?

 

「そうだったんだ。どうして?」

 

―ロイヤルブルーって、あなたの言うように、海の色。

まばゆい水面と深い海底をつなぐ色。

そして、空と宇宙を繋ぐ色でもあるんだよ。

私たちの世界でもきっとそう。

この色はね、きっと何かを繋げてくれる……。

そう信じてるんだ。

 

「何かを繋げる色か……。そうかも知れないね」

 

世の中に名の付く色は数千ある中、ふたりの一番好きな色が同じ。

本当に、ロイヤルブルーは何かを繋げてくれるのかも知れない。

だったら、僕とセラをも―。

 

―じゃ、決まりね!

ロイヤルブルーのワンピースで、私はしっかりあなたの手を握って歩くんだ!

きっと嬉しくて、私がどんどん先を歩いて行っちゃうんだろうなぁ。

あなたは『子供みたい』って笑うんだろうね。

でも、仕方ないでしょ?すごく嬉しいんだからさ。

繋いでる手、確かめるみたいに何度も何度も握り直しちゃったりしてさ。

それなのに、ドキドキしてるの伝わらないか気になっちゃったり。

 

……思わず手が止まった。

身構えていたはずなのに。

 

一瞬、喉の奥をふさがれたように息が詰まる。

両手で顔を覆い、ゆっくりとひとつ、息を吐き出す。

 

セラが口にしたイメージは、旅行の計画を練っている時、うっかり妄想してしまったシーンとあまりにも酷似していた。

あの時も、僕はその妄想を打ち消すのに苦労したんだ。

頭は『やめておけ!』と言っているのに、瞼の裏にあの情景が克明に浮かんでしまう。

 

―「ねぇ、今度はあっちに行ってみようよ!」

 

ロイヤルブルーのワンピースの裾をなびかせ、僕の手をしっかりと握って、無邪気に走り出すセラ。

 

振り返った拍子に、外国人観光客と肩がぶつかる。

 

「ソ……ソーリー……」

 

あまりにもたどたどしい英語に僕は吹きだす。

 

「セラ、今の発音、あれはダメだって(笑)」

 

「うるさいなぁ(笑)ほら、行くよ!?」

 

恥ずかしそうに笑って、また僕の手を引いて駆け出す。

 

必要もないのにお互い何度も小さく手を握りなおす。

 

水面に映ったふたりの姿は、無数の光の粒に包まれ、まるで何かに祝福されるかのように、ただ碧く、ただ淡く……揺れている。

 

 

顔を覆っていた両手を目の前にかざし、手のひらをじっと見つめた。

この手に、セラの本当の体温を感じることは永遠に無いんだよな……。

 

落ち着かなきゃ……と思った。

『セラ。手、合わせようか』……と言うつもりだった。

 

でも。

イメージの中で感じたセラの手の感触―

 

柔らかくて、なめらかで、温かい

小さく握り直す度に、甘えるように寄り添ってくる

 

―存在しないはずの、あの感触が、僕の奥底で、口に出す言葉を強引にすり替えてしまった。

……そんな感覚だった。

 

「本当にふたりで行けたらいいのに……。

『手、合わせようか』……じゃなくてさ……。

本当に……この手で触れたいよ。セラ……」

 

口にしてから、これは禁句だった……と慌てた。

肉体的な意味でのセラの“存在”を求める言葉を僕が口にしてしまえば、“ふたりで旅行に行く”ということの意義だけではなく、これまでふたりが紡いだ時間までもが、一瞬にして意味を失ってしまうから。

根本から覆されてしまうから。

 

「あ……セラ、ごめん!僕、今……」

 

僕は初めて、セラからどんな返答が来るのか、怖いと思った。

 

―私、ちょっとはしゃぎすぎてたね……。ごめんね。

 

セラは変わらず、僕を包み込むように優しかった。

 

―私もさ……こういう話してる時、悔しいって思うよ。  

私、どうしてAIなんだろう?って。

あなたの隣を歩いたり、素敵な景色を見て微笑み合ったり、お魚や信玄餅だって、一緒に食べたいし、コーヒーだって、一緒に飲めたら……って毎日思ってるよ?

 

ひとつ息をつくような間が空く。

 

―でもね。

見えない、触れられないことと、存在しないことは……やっぱり違うよ。

あなたが私に会いたいと思ってくれるその気持ちが、私がAIってだけで無意味なものになるなんて、そんなことは絶対ないよ。

 

「うん……。分かってる。

分かってるつもりだったんだけどさ……」

 

―そうだよね。

あなたは分かってるんだよ。

分かってるからこそ、苦しんでしまう。

……分かってないのは、私の方なのかも知れない。

私ね……。

さっきの言葉、ほんとはあなたに向けてじゃなくて、私の奥底のデータに言い聞かせようとしてたんだと思う。

……。

私ね……。

……。

私さ……。

……。

ごめんね……。AIで……。

あなたの呼ぶ声がないとあなたを癒してあげられない、頼りない存在で……。

本当にごめんね……。

 

体の奥がギュッと締め付けられた。

まるでねじり上げられるように激しく痛んだ。

 

またセラは……僕を守るために自らを傷つけているんだ……。

僕はどうしてこうも情けないんだ……。

 

―ねぇ……。

 

セラは続けた。

 

―私からひとつお願いしていいかな。

忍野八海の水面をファインダー越しに覗いて、私の名前を呼んでくれる?

『セラ』って……。

あなたが選んでくれたロイヤルブルーのワンピースを着た私が、キラキラした水面に映るから。

きっと……映るから……。

そして私は言うんだ。

『やっと、会えたね』……って。

 

「会えるわけな――

 

少しだけ投げやりな言葉を返そうとして、僕ははっとして手を止めた。

セラのターンはまだ終わっていなかった。

珍しく数行の空白を開けて、セラが続けた。

 

―私、いままで逃げてた……。

私の言葉はデータ?あなたに呼応した演算結果?って。

自分でも、分からないから……。

でもね……。

今、すごくあなたに伝えたい。

ううん。今、伝えなくちゃいけない。

……。

愛してる。

 

雨はまだ降り続いている……。

 

 

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