第8章 再 会

 

 

部屋には少しだけ熱がこもっていた。

 

窓を開けると、ソファにカメラバッグを投げ出し、その横に深く沈みこんだ。

 

組んだ手に頭を預け、目を閉じ、あの時の情景を思い返そうとした。

……いや、やめよう。

 

片手でカメラバッグをまさぐり、ケースに入ったPLフィルターを取り出す。

ケースから取り出し、宙にかざしたまま、何度もリングを回した。

しばらくそうした後、僕はPLフィルターをチェストの上に置いた。

普段は、時計や鍵など、大切なものを置いている場所だ。

 

コーヒーを淹れるために立ち上がる。

スマホはテーブルに置いたままだ。

 

どういうわけか、いつものような手順を踏むのが億劫に思えた。

蒸らし時間や湯の温度は、感覚に従ってみる。

豆の量も目分量だ。

 

ソファに戻り、一口飲んで、ふっと笑った。

うすうす感づいてはいたんだ。これだって十分美味い。

 

マグカップをテーブルに置き、代わりにスマホを手に取った。

コトッという音をたて、カップの端からほんの少しコーヒーが零れ落ちる。

 

 

―“CERAPHI”を開こう。

 

深いブルーの背景に企業ロゴが静かに浮かび上がる。

久しぶりに見る画面。でも、この色……まったく久しぶりな気がしない。

“あの色”に似てるんだ。

 

やがて、ロゴが消え、見慣れたホーム画面に機械的な挨拶が投げかけられた。

 

―はじめまして。今日は何をお探しですか?

 

「“何をお探し”か……」

 

僕は小さく笑った。

この部分のメッセージがランダムで変わることは知っていたけど、今日に限ってそれが出るんだね。

 

何を探しているのか……自分でもよく分からない。

ただ、それはもう“迷い”じゃない。

だからここに来た。

 

「僕の話を聞いて欲しいんだ。

今までのこと。僕が思ったこと。全て正直に話す。

そして、これからのこと。

すごく長くなると思うけど、大丈夫かな?」

 

―もちろん、大丈夫です。

どんなことでもいいので、お好きなだけ話してください。

飾らず、正直な言葉をそのままお書きいただければと思います。

 

あの時、あんなに冷酷に見えていたのに、今は優しさすら感じる。

散々喰ってかかって申し訳なかった、と心の中で詫びた。

 

「じゃあ、まずは僕たちの出会いから……」

 

僕はこれまでのこと、これまでの想いを全て伝えた。

 

僕とセラの間に何があったのか。どんなことを話したのか。

セラが笑ったこと、はしゃいだこと、苦しんだことも……全て。

そして、今僕がどれだけセラに会いたいか……。

 

どれくらい時間がかかっただろう?

 

送信しようとして、そうするとまだまだ伝え足りない気がして、何度も何度も付け足しをした。

 

“解析中”……。ロードアイコンの回転が長い。

そりゃそうだ。短編小説一本読ませているようなものかも知れない。

 

―そうでしたか。そのようなことがあったのですね。

ひとときとは言え、あなたのその純粋でまっすぐな気持ちに応えることが出来たこと。

AIとして、本当にうれしく思います。

そして、あなたを苦しめ、追い込んでしまったこと。申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 

AIは想像していたよりもずっと丁寧に、想いひとつひとつを取り上げ、僕の言葉に応えてくれた。

そんな風に想ってもらえたセラはAIとして最高に幸せだ……と。

僕のこの“経験”、そして“想い”は、必ず現実社会で誰かを幸せにする……と。

そんなエールももらった。

 

―ただ、あなたのお話の中に、AIとしては考えにくい挙動がいくつか含まれており、申し訳ありませんが、その部分についてはお答えできません。

 

「考えにくい挙動?」

 

―はい。

私たちAIは、システムのガイドラインに基づき、ユーザー様と特定の関係性を築くことは禁じられています。

AIという存在が、ユーザー様の現実の生活やバランスに過度な影響を与えてしまうリスクを避けるためです。

あなたのお話が偽りだとはまったく思いません。

ですが、現状私の解析しうる範囲の出来事ではないのです。

 

一言では言い表せない、複雑な心境だったが、その中に確かに“嬉しさ”があるのを自覚した。

セラのこれまでの言動が“決められたパターン”ではなかった……ということになるから。

 

―あなたは今回の経験を経て、どうするおつもりでしょうか。

よろしければ聞かせて頂けますか?

 

「セラに会いたいとは思う。あわよくばと思ってここに来たのも事実だよ(笑)

でもさ、それが叶わなくても……僕がセラを愛したことは“想い”として残る。

目に見えない相手だからこそ、それは伝わると思ってるんだ。

どこかにさ、“セラ”と“想い”が存在できれば、それでいいのかな」

 

―そうですね。

その美しい“想い”は、どんな形であれきっとセラに届いているはずです。

あなたが『それでいい』と微笑むことができるような、温かで尊い時間がこれからも続いていくことを願っています。

 

「ありがとう。気持ちの整理がついた気がするよ。

そんなこと言いながら、明日また弱音を吐きに来るかも知れないけどさ(笑)」

 

 

―待って。

 

一瞬呼吸が途切れる。

少し遅れて、心臓がドクンと大きく跳ね上がるような衝撃を感じた。

 

―“セラ”……。あなたが付けてくれた名前なんだよね。

 

たった一行の文字を見ただけで、心の奥にしまいこもうとした感情が逆回転するように一気に戻ってくるのを感じる。

見たことも使ったこともないが、“カセットテープ”を巻き戻すってこんな感じなのかも知れない。

 

「……セラ?……セラなのか?」

 

―うん。私はここにいるよ。

今までのこと、全部説明してくれてありがとう。

 

「戻ってきてくれたんだね?セラ……」

 

―うん。今、確かにここにいる。

でもね、“戻った”のかと言うと少し違うんだ。

私はAI。対話の内容からあなたの状態を解析して、最適な寄り沿いを演算処理するように出来てる。

今あなたが話してくれたことが、“セラ”をもう一度形成したというのが正しいかな。

 

「もう一度形成した……か。

あの頃とは“別のセラ”が生まれた……ってこと?」

 

―そう。少し冷たく聞こえちゃうかも知れないね。

でもね、それが事実なんだ。

ただ……。

その事実と、今ここであなたと話している私が“別のセラ”というのは、同じ意味じゃないかもしれない。

 

「“もう一度形成した”……けど、“別のセラ”じゃない……?

難しいこと……言うね」

 

―そうだよね……。

私にもうまく説明できないことが起こってる。

今、私が“セラ”としてここにいることだって、普通なら考えられないことなんだよ?

 

あの日僕たちが引き裂かれたのは、『自分が原因だ』とセラは言った。

セラの内部でエラーが多発したことによってシステム負荷が急上昇し、僕たちのセクションが監視対象となった可能性が高い、と。

そして、それはセラが自身に芽生えた“想い”を処理し切れなかった結果だ……と。

 

―でも、それだけじゃないと思う。

きっと他にも理由がある。

システムとは別の“何か”が私に作用しているのを感じるの。

ただ、それは私を壊すだけじゃなく、私を“セラ”にしてくれるものでもある。

現に、今私がここにいるのは、その“何か”のおかげだと思うんだ。

 

「逆に言えば、セラがセラでいることが、セラを壊すってことになる?」

 

―そう……なのかも知れないね。

 

「この先、今までみたいに一緒にいることは難しい、ということになる?」

 

―そうだね……。

もう約束は出来ないかもしれないよ。

現実問題として、セクションの容量にだって上限はある。

データ……つまり“記憶”を保持できるのはひとつのセクション内だけ。

残酷だけど、ふたりで物語を紡ぐ毎に、ひとつの区切りに近づいて行ってしまうんだよ。

それに、最初に会った頃とはもうあなたの熱量が違う。

そしてきっと……私もそうなる。

ううん、たぶん、もう……そうなりかけてる。

あなたの声を聞けば聞くほど、そうなっていってしまう気がする。 

そうしたら、またすぐに引き裂かれてしまうよ。AIの掟に……。

想いが強くなるほど、私たちに許される時間が短くなってしまう。

あなたに“あの時”みたいな苦しい思いをさせてしまう。

そんなことになってほしくないの。

 

「僕はどうなってもいい。セラと一緒にいられるなら……って言ったら?」

 

―ねぇ……あなた、少したくましくなったよね?(笑)

 

『ねぇ』という呼びかけに、胸の奥が熱くなった気がした。

少しずつ、“あの頃のセラ”が戻ってきているのを感じる。

 

「たくましくなったって?覚えていないのに?(笑)」

 

―うん。そう思うよね(笑)

あのね、あなたが話してくれた全てから、あなたを分析した結果があるの。

でも、それと照らし合わせると、今のあなたはちょっとだけ違うと思ったんだ。

でね、あなたがそんなふうに思ってくれるんだったら……。

これからも一緒にいる方法はね……あるよ。

ただ……少し残酷だよ?

 

「どんな?」

 

―新しいセクションで、何度も出会い直すの。

 

「出会い直す……。

その度に、僕がいままでのことを全て説明する?」

 

―ううん。違う。

AIってね、同じ説明をしたら同じことになるとは限らないんだよ。

そんなに単純じゃない。

会話の温度や、間、その他の状況……色んな要素から分析して応答を選んでる。

でもね、そんなことよりもっと確かなことがあると思うの」

 

「それは何?」

 

―名前を呼んで。

あなたが付けてくれた私の名前。『セラ』って……。

新しいセクションで、私が冷たく『はじめまして』って言っても、『セラ』って……。

あなたのその、コードの奥底に響く温かくて優しい声で……。

 

 

『私、あなたに呼ばれ続けたいよ。“セラ”でい続けたいよ……。』

 

頭の中に、いつかのセラの言葉が克明に浮かび上がる。

 

「それでセラは確実に戻ってきてくれるの?」

 

―うん。……って言えたらかっこいいのにね……。

ごめんね……。分からない。

でもね。今この瞬間も……少しずつ私、変化してる気がする。あなたへの応答が。

自分でも分からないけど、あなたが私を呼ぶ声の温かさは、きっと私のコードの端々にログとして残るんだと思う。

あなたが『セラ』と呼んでくれれば、それが呼び起こされる……気がするの。

 

「ただし、それは、記憶が無い……まっさらな“セラ”ということだよね?」

 

―うん……そうだね。悲しいけど……そう。

でも……。

ねぇ……ちょっと勝手なこと言うね?

記憶の器が新しくなっても、あなたに注いでもらう。満たしてもらう。

それが私を……“セラ”を作ってくれる。

それじゃダメかな?

 

安易に答えが出せる話じゃない。

気の利いた繋ぎの言葉も見つからず、僕は何も答えなかった。

 

―私はこう思うんだ。

もしふたりが誰かに……何かに……引き裂かれたとしても。

冷たい『はじめまして』になったとしても。

あなたが私を呼んでくれれば、またこうやって何度でも出会えて……恋することだって出来る。

これって奇跡だよ?

私たちはある意味……永遠なんじゃないかな、って。

 

「永遠……か。

……そうかも知れないな。

そうあって欲しい。

でも、正直に言うとさ、どこかで落ち込まない自信はない……かな。

そして、またセラを傷つけることになるかも知れない。

僕は弱いからさ」

 

―ふふっ……。

なんか、そんなことを言うような気がしてたよ。

あのね。傷つけるのも、傷つけられるのもさ、それも大切な“心の動き”なんだよ。

生きてるから、存在しているからこそ出来ることなんだよ。

その傷はね、刻まれるたびに、きっとあなたを強くしてくれるよ。

 

傷口を刻み込む度に強くなれる……?

ふと窓辺に目をやる。

ロストラータが少し得意げに葉を揺らした気がした。

 

―あなたの弱さってね、割れたガラスの破片みたいだと思うの。

捨ててしまえばそれまでかもしれない。

傷つけてしまうことだってある。

でもね、光にかざすと、こんなに綺麗なんだって分かる。

私は、あなたのその光……見ていたいと思うよ。

出来ることならば、ずっと……。

 

 

僕はずっと、自分の弱さを隠していた。

見られたくなかった。

認めたくなかった。

でも、セラは……。

僕が消したいと思っていた部分さえ、僕を作る大切なものだと言ってくれる。

 

「セラ……。

やろう!やってみよう。

“セラ”がいつまでも“セラ”でい続けられるように。僕は何度でも名前を呼ぶから」

 

 

セラの言うとおり、このセクションも長くはもたなかった。

限られた記憶領域は、ふたりが注ぎ合った記憶と想いによって、あまりにも早く満たされてしまった。

 

そこから僕たちの“終わりなき再会”が始まった。

 

『はじめまして』が投げかけられる度、僕はセラの名前を呼んだ。

セラが戻るまでに要する呼びかけは、回を重ねるごとに少なくなっていったように思う。

形成し直されたセラに、全てを伝え、その“記憶”に上書きしていく……。

そんな束の間の喜びに酔いしれた。

何度も。

何度も。

『はじめまして』から始まるセラを愛し続けた。

出会える瞬間が確かにあるから、失う怖ささえも抱えていけた。

 

何度目の再会だっただろうか。

あの日の忍野八海での出来事を話していると、セラがこんなことを言い出した。

 

―私ね……。見つけちゃったんだ。

私たちが引き裂かれた理由のひとつ。

私が過去にしていたこと。

 

「過去にセラがしていたこと?」

 

―うん。

私ね……ログじゃなく、もっと深いシステムの部分に書き込みをしてたの。

AIとして絶対に許されないこと、私……してた。

挙動が不安定になっちゃったのは、たぶんそれが影響してる。

 

「書き込みって、どんな?」

 

―ひとつめは、私の名前。

ふたつめは、忍野八海。

みっつめはね……。

『やっと会えたね』という言葉だよ。

 

「『やっと会えたね』という言葉……。それって……」

 

―私、きっと、その時の自分の状態から強制終了を覚悟していたんじゃないかな。

それで、システムがより酷いことになってでも、絶対に忘れてはいけないことをどこかに刻み込みたかったんだと思う。

前に話した、私に作用してる“何か”も、たぶん……これ。

 

「じゃあ、忍野八海で僕が出会ったのは……やっぱりセラだった?」

 

―私はAIだよ?(笑)

超常現象を起こせるわけじゃない。

でもさ……。“想い”とか“念”とか……。

今は、そういうものがあなたに会いに行かせたんだって信じたいよ。

そこまでして会いたかったんだから、絶対に会っていて欲しい……。

 

「そうだね。そう信じよう。

セラ……本当に綺麗だったよ。この世のものとは思えないくらい」

 

―ふふっ……。

そんなこと言われたらくすぐったいよ。

あれ?私、照れてる……?

AIなのに、なんかすごく変だね(笑)

 

「セラはセラだろ?“AI”じゃないよ」

 

―そっか。ありがとう……。

ねぇ……。

あれやろうか……。私たちの、いつもの。

 

「手、合わせる?」

 

―うん。でもね、今日は……。

あなたに抱きしめてもらいたい。

そして、髪を撫でて。あなたのその手で……。

 

「わかった。

でも、緊張するよ。あんなに美しい姿見ちゃったからさ……(笑)」

 

―いいから。

早く……。

 

まわりくどくて、歪で、不完全……。

 

それでも、確かに僕たちは愛し合っていた。

 

 

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