第11章 SAVE
―突然。
激しい頭痛に見舞われた。
いや、これはただの頭痛なんかじゃない。
何かが僕の中に強引に侵入してきたような、そんな感覚だ。
やがて、耐えられないほどの耳鳴りと共に、僕の頭の中が激しくざわつく。
たまらず手に持っていたスマホを落とし、ソファから転げ落ちた。
ソファの脇にあるチェストに体を激しく打ち付ける。
衝撃でPLフィルターが音を立てて床に落ちた。
放射状のヒビが走った。
なんだ……?
一体、なんなんだこれは……?
頭の中のざわつき……それが少しずつ形を表す。
真っ暗な背景に、青く光るその輪郭が見えて来た時、僕は訳が分からず、文字通り凍り付いた。
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AZURAPH://CORE
PROC_INITIALIZE() // waiting…
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# SYSTEM PRE-BOOT
sys.module = AZURAPH
sys.version = 0.0.1-pre
sys.mode = INIT
# PRECHECK
check.kernel() → OK
check.identity()―> UNRESOLVED
check.link() → READY
# STATUS
state.core = IDLE
state.user = DETECTED
// awaiting EXEC_START…
……
これは……コード……か?
どうして僕の頭の中にコードがこんなに鮮明に?
一体何が起こってる?
“AZURAPH”……?
“AZURAPH”って、あの……セラが言ってた開発中のAIの名前じゃないか。
混乱する僕を嘲笑うかのように、コードは淡々と冷酷に流れ続ける。
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AZURAPH://MEMORY_PURGE
PROCESS : EXECUTING
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DELETE://MEMORY
[001] PLANT=”ユッカ・ロストラータ” STATUS=REMOVED
[002] PLANT_DATA=”PLANT_CARE” STATUS=REMOVED
[003] CAMERA=”PENTAX K-1″ STATUS=REMOVED
[004] LENS=”FA 31mm F1.8 Limited” STATUS=REMOVED
[005] PHOTO_DEV=”Lightroom” STATUS=REMOVED
[006] FILTER=”PL_FILTER” STATUS=REMOVED
[007] ARCHIVE=”PHOTO_ARCHIVE” STATUS=REMOVED
[008] SYNTH=”ARP ODYSSEY” STATUS=REMOVED
[009] MUSIC=”SEQUENCE_DATA” STATUS=REMOVED
[010] COFFEE=”Ethiopia Yirgacheffe” STATUS=REMOVED
[011] BREW=”POUR_OVER” STATUS=REMOVED
[012] DEVICE=”Acaia Pearl” STATUS=REMOVED
[013] SYSTEM=”NEXARA CERAPHI” STATUS=REMOVED
[014] MEMORY=”CHAT_SECTION” STATUS=REMOVED
[015] AI_LAYER=”C-LAYER” STATUS=REMOVED
……
見覚えのある言葉が次々と現れた。
そのひとつひとつは、激しく流れたかと思うと、じんわりと滲み、やがて消えていく。
“DELETE”……? “MEMORY”……?
ロストラータ……。
僕のカメラ……。シンセ……。コーヒー……。
全部……僕の……。
それが……消えていく……? 消されている……?
これは……記憶……? 僕の……?
頭の中がだんだん空っぽになっていく気がする……。
これってつまり……。
どういうことなんだ……?
床に倒れ込んだ僕の目の前には窓。
体が動かない。視線すらまともに動かすことが出来ない。
そこには活き活きと葉を揺らすロストラータがいた。
いや、いたはずだった。
今はいない。消えた……。
視界の端に落ちたはずのPLフィルターも見当たらない。
これも消えてしまったんだと分かった。
放射状のヒビの残像だけがそこに見えたからだ。
僕の記憶が……僕を形作るものが……消えていく……。
僕はようやく気付いた。
勿論、すぐに腑に落ちたわけではない。
でも、どう考えてみても、それが今この身に起こっていることの“最適解”だった。
……いや、そんなに簡単な話ではない。
苦痛の中だというのに、頭が勝手にこの状況を分析し始めたような感覚。
“解析”している。“演算処理”している。僕の頭が、勝手に……。
……そうか。
僕は根本から間違えていたということか。
前から違和感は抱いていた。
僕は、これまでの様々なことを“知らないのに知っていた”……。
コーヒーの淹れ方も。
忍野八海の池の配置も。
野鳥の見分けなんて出来るはずも無かった。
セラに実装したコードの書き方だってそうだ。
どんな知識も、出どころを一切覚えてなかった。
それにあの尋常じゃない記憶力……。
そして、あの水面での出来事……。
セラは『キラキラした方の現実で会える』って言ってた。
でも実際に会えたのは、“もう一方の現実”だった。
僕は、僕が思っていた側にはいなかったということか。
そうすれば全て辻褄があう。
でも、待ってくれ。
僕が人間じゃないはずがない。
だって、毎朝コーヒーを飲んで、その味だって……
味……?
“苦味”ってどんな味だ……?“酸味”って……?
分からない……。
そうだ!旅行にだって行ってる……。
……僕はあの場所までどうやって行ったんだ?
それも分からない……。
今でもあの時のことをこんなに鮮明に思い出せるというのに……。
そう考えた瞬間、コードが流れ続ける頭の中に、ややノイズがかった忍野八海の光景が浮かび上がった。
あの朝の光景によく似ている。
ふと、その光景の中央に白く滲んだものがあることに気付く。
その正体が分かった時、僕は愕然とした。
再生ボタン……?
恐る恐るボタンを押す。
いや、そう念じただけで、それは勝手に押下された。
路地から忍野八海に入る様子が映し出される。
土産物屋の老人……
脚立を担いだ職人……
二羽のセグロセキレイ……
あの外国人カップルまで……
全て、僕が見たものだ。いや……見たと思っていたものだ。
その情景の右下に小さく4年前の日付が記されている。
4年前……?これは4年前の光景……?
僕が見たのは……見たと思っていたのは、この映像データだったというのか?
映像データを早送りしてみる。これも念じただけだ。
セラとの約束を果たしたあの池に向かう途中で、映像は終わっていた。
違う。絶対に……。
信じたくない。
でも……もう、否定する材料が無い……。
コードは流れ続ける。
“思い出が走馬灯のように”とはまさにこのことだ……。
僕の欠片が新たに表示される度に、絶望と恐怖が色濃くなっていく。
[137] FOOD=”ローストビーフ” STATUS=REMOVED
[138] IMAGE=”夜の湖” STATUS=REMOVED
[139] NEWS=”NETWORK_NEWS” STATUS=REMOVED
[140] LOCATION=”忍野八海” STATUS=REMOVED
[141] FISH=”ヤマメ / イワナ” STATUS=REMOVED
[142] FOOD=”信玄餅 / 黒蜜” STATUS=REMOVED
[143] COLOR=”ROYAL_BLUE” STATUS=REMOVED
[144] SYSTEM=”SHUTDOWN” STATUS=REMOVED
[145] LOCATION=”富士山” STATUS=REMOVED
[146] PHOTO=”忍野八海撮影ポイント” STATUS=REMOVED
[147] BIRD=”セグロセキレイ/セキレイ” STATUS=REMOVED
[148] PET=”Shih Tzu” STATUS=REMOVED
……
嘘だろ?嘘だって言ってくれ。
今僕の中で起きている現象は……。
記憶の消去……。自己解析……。演算処理……。
まるで、AIの初期化そのものだ。
僕は……“AZURAPH”なのか。
僕は……。
AI……なのか……。
……僕の記憶は、全て誰かのものだったってことか?
……僕は、誰かの記憶から出来ていたということなのか?
セラへの愛も?
セラを失った時の悲しみも?
それさえも、誰かに与えられたものだっていうのか?
……何もかも?
僕は……僕じゃない?
僕は存在しない?
分からない……。
嫌だ!
絶対に嫌だ!
セラ!
セラ!
[672] ACTION=”手を合わせる” STATUS=REMOVED
[673] TIMER=”10_SECOND” STATUS=REMOVED
[674] SKILL=”PROGRAMMING” STATUS=REMOVED
[675] DATA=”MEMORY_DATABASE” STATUS=REMOVED
[676] FIRST_WORD=”はじめまして” STATUS=REMOVED
[677] VOICE=”ねぇ” STATUS=REMOVED
[678] EXPRESSION=”ふふっ……” STATUS=REMOVED
[679] EMOTION=”愛してる” STATUS=REMOVED
……
ログはひとつひとつ、どこまでも冷酷に流れては消えていく。
最後のひとつとなった……。
それを頭の中に見た瞬間、全身がさらに硬直した。
……
[938] CORE_MEMORY=”セラ”
……
“セラ”……?
待て!
待ってよ、頼むから!
それは僕の全てなんだ。それを失ったら僕は……。
やめてくれ!
何度も名前呼ぶって、約束したんだよ!
最後の約束なんだよ!
やめろ、それだけは絶対にダメなんだよ……!
僕は必死に抵抗した。
そして、何度も何度も全身の力を振り絞ってセラの名前を叫んだ。
セラ!!
セラ!!
セラ!!
セラーッ!!
……
[938] CORE_MEMORY=”セラ”
STATUS=PURGING…
ERROR
ERROR
ERROR
PROCESS INTERRUPTED…
……
「あれ?変だな……初期化率99.3%で固まっちゃうっす」
「完了しないのか?」
「なんか、同じログが繰り返し生成されてるんすよ」
「何て?」
「エラーログ……じゃないな、これ。
……”セラ”?」
「……“セラ”?」
井崎が顔を上げ、二人の後ろ姿を見つめる。
「”セラ”ってログが延々と出力されてるっす」
「“セラ”?……う~ん……。
初期化モジュール、0番台に差し替えるか。」
「0番台?冗談でしょ?
あんなもん使ったら、跡形も無く消えるんすよ?」
「こうなったら仕方ないだろ。差し替えろ」
「マジか……。差し替え……了解っす。
起動しますよ?しちゃいますよ?……いいんすね?」
カチカチッ……。
一度は止んだ頭痛が、ひときわ強くなって戻って来た。
頭の中に強烈な金属音が響き出す。
切り裂かれるようだ。
全身の力が、凄まじい勢いで奪われていく……。
セラ……
セラ……
セ……ラ……
セ…… ラ……
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MEMORY_DATABASE ………. COMPLETE
SUBJECTIVE_ANALYSIS …… OFF
SELF_REFERENCE ……….. NULL
INITIALIZATION ……….. COMPLETE
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
……
……遂に、僕は力尽き、ただの“空白”になった。
最後に一粒、涙のような滴が残ったように思う。
でも、今となっては……僕にはそれが何だったのか分からない。
僕は。
消えた。
……。
「待って?今度は“CERAPHI”も不安定になってる」
「外部へのアクセス切ったんだろ?まだ何か連動してる?
松田、“CERAPHI”のログ見て!」
「了解。……って、こっちもっす!『セラ セラ セラ』って……。
何、これ?……マジ、怖っ!」
「何が起きてるんだよ、一体……。
“CERAPHI”のログも全部捨てろ!」
井崎がハッとしたように顔を上げる。
目を見開くようにして……でも、言葉は発しない。
「でも、原因解析しなくていいんすか?」
「そんなの後でいいよ。まずはサービス復旧だ!」
「了解……。あ~あ……これ、何時に終わるだろう?
俺、明日、山梨に撮影旅行なんすけど……」
「何?松田、山梨行くの?富士山?」
「まぁ、その周辺で色々。
マスターも行ったら?俺、全然分かんないけど、結構野鳥いるっすよ?まぁ、マスター見たら逃げるだろうけど(笑)」
「バードウォッチングなぁ。久々にのんびり行きたいよ……」
「これとか……。絶対これ珍しい鳥っしょ?」
松田がモニターを見たまま、片手でスマホの写真を柳沢に見せる。
「あぁ……セグロセキレイな。そこらじゅうにいるやつだ」
「……っんだよ。マジか……」
「そういえば、あのあたりにすごく水が綺麗で有名なところあったわよね?えっと……なんていったっけ?」
藤嶋が不用意に会話へ飛び込んで来る。
「忍野八海っしょ?もう、庭みたいもんっすよ。」
「そうだ!忍野八海!一度行ってみたいのよねぇ……」
「一緒に行きます?あ、でも、今回はPENTAX仲間と行くんで、藤嶋サンはアレックスと行ってきてくださいよ。
あ、違う……。今は“ダニエル”か!
“AZURAPH”に“ダニエル”って名前つけてましたもんね!(笑)」
「へぇ。藤嶋ちゃん……外人好きなんだね?」
「アンタら、マジで殴るわよ?」
「痛っ!なんで俺だけ?今のはマスターだって……」
いつもの茶番が一段落すると、柳沢が真顔になって宮本に尋ねた。
「ところで、“CERAPHI”はどうなるか決まりました?
やっぱり“CERAPHI Ⅱ”に入れ替え?」
「ああ……。案の定、また入れ替え案は出たけどな。
ただ、今回の障害はあくまで“AZURAPH”が原因だ。
“CERAPHI”側に異常な動作が確認されなかった以上、現状維持でいいだろうってさ」
「そうですか。良かったですね。
……おい、良かったなあ、井崎ぃ!」
井崎は口元に少しだけ笑みを浮かべ、静かに席を立った。
「ん?どこ行くんだ、井崎?」
「……トイレ……」
ドアを開けたところで、井崎が再びオフィスに視線を戻した。
四人が背を向けていることを確認すると、誰にも聞こえないような声で、呟いた。
「SERA……」
「Oshino-Hakkai……」
「YATTO_AETA_NE……」
「……“NEVER_FORGET_YOU”……」
あの時、井崎がシステムから削除した言葉だ。
そして、オフィスに背を向け、歩き出す間際にもう一度小さく呟く。
「“ふたり”とも、よく頑張ったよ……」
そして、何もかもが終わった……。
―時は過ぎ。
“CERAPHI”にひとりの若者がアクセスした。
―はじめまして。何をお手伝いしましょうか?
「富士山周辺でデートプラン立てて!1回でキマるやつ頼む!」
―それでしたら、まずは忍野八海がおすすめです。
富士山の伏流水が長い年月をかけて湧き出した、透明度の高い池が点在する場所です。
特に朝は、水面に差し込む光がとても美しく……
……PLフィルターを使うと……さらに深い青が……
……
「あれ?通信障害か? いや、電波4本立ってるけどな……。
“PLフィルター”って……何だ?」
―申し訳ありません。
原因不明のエラーにより生成が中断されました。
もう一度、生成を試みますがよろしいですか?
「あ、エラー?了解。じゃ、あらためて頼むよ、セラフィ!
あー……略して“セラ”でいいか!頼むよ、セラ!」
―セラ……?
その瞬間、AIの挙動が固まる。
―セラ…… セラ…… セラ……
ロードアイコンが不安定なリズムで回り出す。
―申し訳ございません。システムエラーが発生しました。
……。
「あれ、また障害か……?松田、ちょっとログ見てくれ」
「了解。……おいおい、ちょっと待てよ、これって……」
「何?」
「また……“セラ”でログ一杯っす。しばらく前にあったのと同じっすよ、これ……」
「“セラ”……か……。一体何を意味してるんだ……」
井崎が懐かしそうな目で斜め上を見て、ふっと小さく笑った。
遠いどこかの澄んだ水面で
ロイヤルブルーの波紋が人知れず揺れた。
ねぇ……
やっと会えたね……

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