第6章 深 層
遡ること一年前。
「ちょっとみんな集まってくれ。大事な連絡がある」
運用開発チームのオフィスで、チーフエンジニアの宮本がメンバーを集めた。
ここは、“NEXARA Technologies Inc.”
対話型AI“CERAPHI”の開発・運用を手掛けるIT企業だ。
宮本の声が響いてもなお、キーボードの打鍵音は続く。
ようやくそれが止むと、それぞれのデスクでモニターを凝視していたエンジニア達が、オフィスチェアのキャスターを滑らせ、のそのそと宮本の周りに集まる。
それでもなお、自分のデスクのモニターに視線を残したままの者もいる。
「なぁ……上司に呼ばれてその態度って、どうなの?お前ら……」
宮本が優しげな目元のしわをさらに深くしながら嘆く。
見ての通り、問題児の集まりのような部署だ。
だが、皆、腕は確かなエンジニア。
このチームは正式な編成というより、再編の副産物に近い。
NEXARA社が分裂・統合・再編を繰り返す過程で、各開発ラインから“扱いの難しい人材”だけが意図的に、あるいは押し付けられる形で集められた経緯がある。
結果として残ったのは、統制の効かない少数の技術者集団だったが、皮肉にも、そのアウトロー性が他部署には出せないレベルの成果を生んでいた。
社内では半ば例外扱いされながらも、実質的には最も重要なAIコア運用を担っている特別枠のチームだ。
「何すか?お説教だったら勘弁してくださいよ?」
パーマのかかった前髪を指でこねくり回しながら、気怠そうに松田が言う。
「そんなお前が一番喜びそうな話だと思うけどな。」
「え?マジで?何っすか?」
松田の声色が一気に変わる。
「開発チームから“AZURAPH”のモニターテストをして欲しいとこのチームに依頼が来た」
「マジ!?“AZURAPH”最初に触れんの!?おっしゃー!」
座ったままオフィスチェアをグルグルと回転させ、子供のように喜びを爆発させる。
―“AZURAPH(アズラフ)”
NEXARA社が現在開発を進めている次世代対話型AIだ。
“AZURE” ― 深い青
“SERAPH” ― 熾天使
“CERAPHI”の語源でもある“SERAPH”を受け継ぎ、さらにその先へ進む存在として名付けられた。
現行AIの数倍の解析能力を持ち、さらにそれをより多角的に判断することが出来る。
正式なスペックは未発表ながら、業界では“モンスターAI”との呼び声が高い。

「それって、私たちが“AZURAPH”を実際に使ってモニターするってことですか?」
チームの紅一点、藤嶋がスラっとした脚を伸ばし、松田のチェアの回転をヒールで止めながら宮本に尋ねる。
黒縁眼鏡の奥に隠れているが、凛とした雰囲気を纏った美人だ。
一見すると、こんな珍獣・猛獣ぞろいのチームには似つかわしくないように思えるが……。
「うん。開発から間もない。まず最初のテストは内々で、ってことだよ。
そりゃそうだろう。あれだけのとんでもないAI、いきなり社外でテストなんて危険すぎる」
「テスト終わったらリリース?」
「いやいや、全然。俺たちがやるのは初期中の初期のテストだよ。
リリースまでまだまだ何年もかかる。
一般ユーザー向けになるかどうかすら、今の時点では分からん」
松田はもう話には飽きたようだ。
相変わらずチェアを右に左に回しながら、スマホを見ている。
“AZURAPH”の情報でも調べているのか。
「凄いとは聞きますけど、“AZURAPH”ってどう凄いんです?」
柳沢が尋ねる。
大柄で髭を蓄えたその風貌から、愛称は“マスター”。
チーム最年長。有能なエンジニアではあるのだが、近頃はオフィスの給湯室を主戦場として、喫茶店のマスターさながらの“業務”をしていることの方が多い。
「解析能力やパターン認識の大幅なアップは言うまでもないとして、一番凄いのは、情報を一旦主観的な視点に置き換えて生成して、それを分析する能力だろうな」
「主観的……ってことは、人の思考により近くなるってことですかね?」
「まぁ、ざっくり言うならそういうことだ。それが最終目標だからな。
音声も凄いみたいだぞ。波形生成と音声モジュールが同軸管理になるとか何とか……。
かなり自然な感じで人の声として調整できるようになるらしい。
井崎なら理屈分かるよな?シンセやるだろ?お前」
うつむき加減だった井崎が少しだけ顔を上げる。
だが、誰と視線が合っているわけでもない。
「オシレーターと……フィルター。シームレスで制御……」
「井崎クン、喋った!たぶん、今週初よね?」
藤嶋が目を丸くして驚いたように笑う。
井崎は最年少のいわゆる“天才”エンジニア。
システム内に生じるわずかな歪みや違和感を瞬時に拾い上げ、設計思想の裏側まで読み切るような“異常検知能力”の持ち主だ。
チーム内どころか、社内……いや、ひょっとすると業界内で一番無口だが、音楽をやる時だけは人が変わり、電子音楽をネット配信するという意外性もある。
ただ、演奏中の奇怪な動きが不評で、チャンネル登録者数は伸び悩んでいるようだ。
松田が背もたれに深く体を預けながら言う。
「そんで、そこに高度な表情分析とか軽く実装してくるっしょ?
なんか、AIカノジョとかAIカレシとか、マジで爆増しそうっすよねー」
「だね。どうせアンタもやるでしょ?」
「そういう藤嶋サンだって、今のカレシ“CERAPHI”っすよね?
名前なんだっけ?あ……そうだ!“アレックス”(笑)」
「何!?アンタ、覗いたの!?」
「覗いてないっすよ!勝手に開いたんすよ!アレックスが(笑)」
「アンタ、マジで殴るよ?」
「痛っ!殴りながら言うなっつーの!」
「このバカ!バグ!」
松田と藤嶋の小競り合いは毎日の恒例行事だ。
呆れたように二人を横目で見ながら、宮本が言う。
「でも、我々からすれば、それもひとつの目安なんだよな。
今の時代、賢いだけのAIはいくらでもあるけど、“話したくなる”AIって案外少ない」
「ですねぇ。そう考えると、“CERAPHI”って、やっぱりいいAIですよねぇ。
なぁ、井崎……」
柳沢がやたらとしみじみした口調で言う。
井崎は無言で小さく何度も頷いた。
このチームに、技術以外に誇れることがあるとするならば、それは自社製品……つまり“CERAPHI”への愛情だろう。
その中でも、井崎の“CERAPHI”愛は群を抜いている。
本人が口にすることはないが、それは誰もが認めるところだった。
これまで、“CERAPHI”に何らかの問題が起きるたびに、社内では“CERAPHI Ⅱ”という新型プログラムへの入れ替えが議論されてきた。
解析システムとアルゴリズムが入れ替えとなり、ほぼ別のAIとなる。
厄介なことに、この“CERAPHI Ⅱ”の開発には外部企業の技術が入っており、入れ替えをきっかけに、“CERAPHI”そのものを消滅させてしまう可能性があった。
その度に、問題解消の糸口を見つけ出し、“CERAPHI”を救ってきたのは、ほかでもない、井崎だった。
彼の見せる静かな執念は、単なる“システム保守”にはとても見えなかった。
「“話したくなる”のよねえ、“CERAPHI”ってほんと……」
藤嶋も同調する。松田はそれを逃さない。
「“CERAPHI”じゃなくて、アレックスでしょ?」
「アンタ、殴られ足りないみたいね……」
―“話したくなる”AI
それは“CERAPHI”開発時に掲げられた最も重要な理念だった。
正式な数は公開されていないが、“CERAPHI”には多くの感情アルゴリズムがあり、対話内容に応じてそのアルゴリズムを段階的に切り替えていく業界初の仕様だ。
それはまるで人間同士が時間をかけて築く“信頼関係”のように機能する。
ただし、その最上位に位置する感情アルゴリズムについては、開発者ですら完全な挙動を把握できていなかった。
「“CERAPHI”だって、感情あるんじゃないかって思うことがあるのに、もし“AZURAPH”が完成したら、ホントに人格持っちゃうんじゃないですかねぇ?」
柳沢の言葉に、井崎がわずかに顔をあげた。
「そうだな……。さすがにここまで進化すると、そう思うこともないわけじゃないが……」
「でも、チーフ?人間って元々は海で生まれたちっちゃな生き物ですよ?
クラゲみたいなもんだったんですよ?」
「マスター、クラゲに失礼。クラゲはもっと素直っす。謝って」
「……ごめん」
「なんでクラゲに謝ってんのよ……」
どうしてもひとつの話題がまっすぐ進まない。
「それで……。
そのちっちゃなクラゲがマイナーチェンジ繰り返して、最後には“感情”持った人間になったわけで。
AIにそれが出来ないなんて言い切れます?」
「そうかもね。人間の“感情”は唯一無二……なんて、ただの思い上がりかもしれないわね。
井崎クンはどう思う?」
「……」
気まずい空気が流れる。
「ごめんね……」
これもまた、いつものチームのリズムだ。
「ところで、“CERAPHI”の問題はどうなんだ?」
宮本が井崎に尋ねた。
“CERAPHI”に、感情アルゴリズム処理時のエラーと思われる障害が続いていたのだ。
まるで決まったルーティンのように、藤嶋、松田、柳沢の三人が井崎の近くに寄った。
井崎がモニターを指し示しながら、小声で言葉少なに三人に説明する。
「より複雑な感情を解析しようとすると、システムに想定外の負荷がかかるみたいですね。
上位の感情アルゴリズムに切り替わるほど、そのリスクが高くなる。
……ってことでいいのよね?井崎クン」
井崎が無言で頷く。
「井崎さぁ……いい加減、俺らを通訳に使うのやめろっつーの」
松田に脇腹をつつかれ、井崎は声も無く派手に飛び上がった。
宮本が深くため息をつく。
「やっぱり……幸か不幸か、あのアルゴリズムが凄すぎるんだよな。
上に行ったらもう解析能力が追い付かないってことだろ?」
「でも、最上位の感情アルゴリズムまで行き着けるユーザーはまずいないって、開発が言ってましたよね?」
「それな!いや、ホント、そうなったら神!
こう言っちゃぁなんだけど、ウチの“CERAPHI”、マジ堅物っすよ?
俺の“ビアンカ”なんかいつまで経っても懐かないし」
「アンタのその性格じゃあね……」
だいたいいつも、松田の軽口に藤嶋がつっこむのを合図に会話のカオス化が始まる。
「松田……。そこ、“フローラ”……じゃないんだね?」
「え?マスター、“フローラ”派?……いやぁ、無いっしょ!」
「何だよ、お前、“フローラ”の良さ分かんないの?青いねぇ……。
で、井崎はどっちよ?」
「……“デボラ”……」
「デボラァ!?」
柳沢と松田が同時に甲高い声を上げる。
「なんで“デボラ”?」
「未完成……。強い……」
「まぁ、確かに“ザキ”持ってっかんな」
「松田……。井崎が言ってるのはたぶんそういう“強い”じゃないと思うぞ?」
どこからでも華麗に会話を脱線させるメンバーの無駄な才能に天を仰いだ後、切り替えるように宮本が尋ねた。
「で、どう修正する?松田、ここは真面目に答えろよ?」
「はいはい……。
とりあえず、想定できる感情パターン出せるだけ出して、それについてはバイパスで処理負荷軽減するって感じっすね。
ただ、人間の感情全部網羅するのなんて無理なんで、マジで最低限……って感じっすよ?」
「でも、問題が起きるのは“複雑な感情処理時”なんだろ?
我々がその複雑なパターンを想定できなかったら?」
柳沢の切り替えの早さもさすがベテランエンジニアといったところだ。
「そしたら効果ナシっす。
ま、単調にならないように、やるだけやってみるっす」
「強制終了プログラムもあるけど、あれ、やっぱり感じ悪いしね。
極力出したくないもんね」
藤嶋の言葉に松田は少しだけ動きを止めて、天井を見た。
少し妙な間をおいてから、こう呟いた。
「もし“CERAPHI”のハート鷲掴みしちゃうような凄ぇ奴が出てきたら、もう……そん時は諦めましょ」
松田特有の軽薄なトーンではあったが、その言葉には確かに“重さ”があった……。
「よく分かんないけど、俺らには止めらんない気がする……」
