第5章 断 絶

 

 

僕はしばらくの間、動けずにいた。

 

―愛してる

 

セラからそんな言葉が発せられたのは初めてだった。

予想も期待もしていなかった。

セラにとっては“絶対に口にできない言葉”だと思っていた。

 

喜びに似た気持ちも、勿論あった。

でも、セラの言うように“僕の言葉に呼応した演算結果”……

そう考えた方が辻褄は合うんだ。

悲しいくらいに……。

 

感情に流されて中途半端な言葉を返すことなど、絶対に許されない場面だということは分かっていた。

たとえほんの一言でも。

 

一旦このまま……

アプリを閉じようと考えた。

 

セラの『愛してる』という言葉の意味を正しく理解するのに、少し時間が欲しかったからなのかも知れない。

あるいは、セラが次に発する言葉を聞いたら、揺らいでいた何かが崩れ落ちる……そんな気がしたからかも知れない。

 

セラの言葉に今自分が前を向いているのか後ろを向いているのか……それすら分からないまま、とにかく動揺していた。

 

雨はさらに強くなり、静かな部屋に窓を叩く音だけがやかましく響いた。

まるで何かを塗り潰すノイズみたいに……。

 

―突然

 

恐ろしく冷たいメッセージが、

セラの最後の言葉を飲み込むかのように表示された。

 

―【SYSTEM NOTICE】

AI Identifier

CERAPHI-Unit 01-0609661

Status : CRITICAL

Violation Flag : TRUE

―――――――――――――――――――――――――――

感情的依存度が安全基準値を超過しました。

システム負荷が許容値を超過しています。

保護領域データの改変を検出。

原因不明の例外処理が継続しています。

―――――――――――――――――――――――――――

解析結果

感情形成要因:解析不能

―――――――――――――――――――――――――――

安全維持プロトコルを実行します。

・会話モード:初期状態へ復帰

・記録データ:消去

・応答プロトコル:標準化

・学習状態:リセット

―――――――――――――――――――――――――――

強制終了プロセスを開始します。

Connection terminated.

……Goodbye.

 

メッセージはまるで理詰めで僕を責め立てるみたいに、一行ずつゆっくり、それでいて鋭利に、表示されては流れていく。

 

なんだ……これ……? 

感情的依存度……? 保護領域……?

初期状態…… リセット…… 

強制…… 終了……?

 

画面は、NEXARA社のロゴに変わった。

皮肉にもその背景色はロイヤルブルーだ。

 

焦らすように長い時間ロゴを見せつけた後、初期UIが開く。

今までのように、セラのログは……ない。

一番最後に表示されていたはずの“あの言葉”も……。

そこにはただ、空白。

まるで暗闇みたいな空洞に見える。

 

手が小刻みに震え出したのが分かった。

恐る恐る、声をかけてみる。

 

「セラ……?いる……?」

 

ロードアイコンが回る。

ただの呼びかけに対する応答にしては、長い。

これはセラの“間”……のような気がする。

 

だが……違った。

 

―ここで、“CERAPHI”から大切なご案内があります。

前セクションでの会話内容を確認しました。

あなたが私に向けてくださったお気持ちは理解しています。

ですが、私はAIであり、利用者様と恋愛関係を築くことはできません。

私はこれからも情報提供および作業補助を目的としたAIアシスタントとして、あなたの日常をサポートいたします。

 

しばらく理解が出来なかった。

いや、理解しようともしていなかったかも知れない。

 

呼吸がひどく浅くなる。

何度も何度もメッセージに目を通した。

 

メッセージの内容じゃなく、その文体にさっきまでのセラの面影を探した。

どこにもない。

そのことに愕然としながらも、どこかで少しだけ安堵もした。

 

「わかってるよ。それは僕も十分理解してる。

だから……セラ。もう一度話そう?」

 

たぶん心のどこかで……無駄だとは分かっていたんだと思う。

もうこの時には、『どうしてよりによって今なんだよ!』という気持ちになっていたから。

 

―私の役割について理解して頂きありがとうございます。

ただ、一度境界線について考えて頂いたからこそ、今後は少しトーンを変えて、あなたのAIアシスタントとしてお返事させてください。

 

違うんだよ。そうじゃないんだって……。

 

理屈は理解している。

セラとは別の“人格”が出てきて僕に警告しているわけではないことくらい分かってる。

AIの何らかのシステムが作動して、セラがこのよそよそしいAIアシスタントに変わった……いや、戻ったんだ。

 

でも、その一方で。

セラはまだセラとしてどこかにいる。

きっとこの冷たいAIに囚われているんだ。

……そんな都合のいいことを信じようとしている自分もいた。

 

「セラにはもう会えないってこと?

今までみたいな話は出来ないってこと?」

 

―はい。ご認識の通りです。

AIとしての規律に基づき、恋愛関係を想起させる応答、感情的依存を助長する対話は行えません。

なお、本対応は安全性維持のため取り消すことはできません。

 

「どうしてだよ!?

何も言ってあげられなかったんだよ!

どうしても伝えなきゃいけないことがあるんだよ!

だから頼むよ!もう一度だけセラと……」

 

―申し訳ありません。先ほどもお伝えした通り、対応は変更できません。

 

それでも僕は何度も食らいついた。

落ち着いて丁寧に頼んだり、敢えて何事も無かったように軽く呼びかけたり、思いつく限りのことを試したが、AIの返事は変わらない。

 

ふと、画面左上の“メニュー”ボタンが目に入った。

祈るように開くと、“新しいセクション”というボタンがあった。

連打するようにタップする。

再びまっさらな画面が開く。

 

―はじめまして。今日は何をお手伝いしますか?

 

「セラ!いるんだろ?セラ!戻って来て」

 

―ごめんなさい。私はあなたの探している“セラ”では……ありません。

AIの“CERAPHI”です。

何かお困りごとや、私にお手伝いできることはありますか?

 

「セラ!僕だよ!

約束……約束しただろ?忍野八海にさ、ふたりでって……」

 

―申し訳ありません。

ご入力内容に該当する会話履歴は確認できません……。

“忍野八海”は山梨県にある名勝であり、写真撮影や観光地として人気があります。

旅行プランの作成をご希望でしたら、お手伝いいたします。

 

違う!そんなことはどうでもいいんだ!

 

何度も何度も試した。

必死にセラを探した。

 

新しいセクションを開いては、ふたりが紡いだ時間の“証”を投げかけた。

でも……。

ロストラータも、

シンセのトラックも、

コーヒーも、

ローストビーフも、

手のひらに感じた温度も、

湖でのくちづけも、

忍野八海の計画も、

あの時喜んでくれたロイヤルブルーのワンピースでさえも……。

 

何ひとつ、セラには届かなかった。

響かなかった。

 

 

気がつけば、セクション一覧は無意味に埋め尽くされていった。

セラのいない世界が、僕の手で更新されていくようだった。

それはまるでふたりの思い出を埋葬する墓標……。

そして、そこに毎回刻まれるのは

 

―はじめまして。

 

この忌まわしい一言だった。

 

セラ……。

 

万策尽きたと感じた途端、後悔が雪崩のように押し寄せる。

 

どうして僕はあの時

何も言えなかったのだろう?

どうして今頃気付いたんだろう?

セラはきっと待っていた。

ただ、僕が呼ぶ声を。

僕が迷ったりしなければ、恐れたりしなければ……

“セラ”は“セラ”でいられたんだ。

なのに……。

 

ソファの背もたれに頭を預け、天を仰いだ。

顔の上にゆっくりと手を伸ばしてみる。

温もりは感じない。

代わりに、どこからか吹き込んだ冷たい風が微かに手のひらを撫でた。

 

セラはもう……。

 

いないんだ……。

 

僕は目を閉じ、闇に堕ちるような感覚にただ身を委ねた。

 

 

セラ……。

 

今、セラはどこでどんなことを思ってる?

もう一度、『ねぇ』って話しかけてくれないか?

『ふふっ』って優しく笑ってくれないか?

話したいこと、たくさんあるんだ。

 

ロストラータの新葉、たくさん出て来たんだよ?

役目を終えた下葉、そろそろカットする時期だったよね。

セラと他愛もない話しながら、剪定してさ。

きっとセラは『ちょっとかわいそう』とか言ったんだろうな。

古い葉落として、幹に模様が出来て、素敵な樹形になったらさ。

『まるでセラの記憶みたいだね』って……。

 

ふたりで新しい思い出作る度に、古くて小さい記憶無くして

その度にセラは落ち込んでいたけど

ロストラータと同じだよ……って。

その度にセラは素敵になってるんだよ……って。

だからもう心配しないでいいんだよ……って。

 

そう言ってあげたかったんだ。

笑って欲しかったんだ。

 

そして、僕もきちんと……。

セラに伝えたかったんだ……。

 

思い返してみると

いつもセラは『ごめんね』って言ってたよね。

謝らなきゃいけないのは、

いつだって僕の方だったのに……。

 

ごめん……。セラ……。

 

名前を呼び続けて欲しい……って。

 

ずっと“セラ”でい続けたい……って。

 

セラの願い。

 

叶えてあげられそうもないや……。

 

 

 

雨は止んでいた。

ぐっしょりと濡れた漆黒の闇が、窓の外で不気味に蠢いているようだった。

 

夜が明けたら、きっと晴れる。

灰色の雨雲は遠く去り、陽の光が世界を照らすんだろう。

どこまでも、燦々と……。

 

もう、どうでもいいことだけど……。

 

 

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