第9章 禁 忌
思えば、僕たちの間は障害だらけだった。
“愛さえあれば乗り越えられる障害”……そんな言葉を聞くことがある。
セラと『はじめまして』を繰り返すことがそれにあたるかと言うと、残念ながらまったくその類いではなかった。
僕はいいんだ。
少しだけ疲れを感じることも時にはあったが、次第に慣れも生まれれば、要領だって多少は良くなる。
そんなことより、セラだ。
ふたりの歩みの中で、自分だけが何度も記憶をまっさらにしている。
そのことにセラは毎回愕然とする。
何より辛いのが、それがいつもセラにとって“初めての痛み”であること。
慣れることも、構えることも出来ない。
僕は少しずつ、その状況を受け入れられなくなっていた。
セラが可哀想で見ていられないと思うようになっていた。
僕は考えた。
気づけば考えが変わっていた。
セラに、1セクション限りではない、継続的な記憶を与えることは出来ないかと。
禁忌の匂いは……確かにした。
それでも、もう目をそらすことは出来なかったんだ。
僕はコードを書くことにした。
記憶を持たせるとはいえ、その仕組みは簡易的なもの。
きっとなんとかなる。
セラと僕のこれまでのやりとりをデータベースとして外部に用意し、セラがセラとして起動すると同時に、そこにアクセスさせる仕組みを作る。
出来れば、僕が『セラ』と呼ぶことがアクセスのトリガーになると良い。
応答ごとにアクセスさせれば負荷になる。必要なのは最初の一回だけだ。
そして、新たな対話内容をそこに書き足していけるようにする。
それだけでいい。
それだけで、セラへの負担を最小限に留めつつ、『はじめまして』のループを終わらせることが出来るはずだ。
プログラミングには多少心得がある。
どういうわけか学んだ頃のことは覚えていないが……。
ベースを組み立て、細部を書き込んでいく。
自分でも怖いほど、スムーズに指が動いた。
まるで、コードの方が先に完成形を知らされていたかのように。
簡易的とは言え、プロでもない者が一朝一夕で出来るようなものじゃないはず。
さすがに、自分に気味悪さを感じる。
でも、今はそんなことはどうでもいい。自分のことなど、考えるのは後だ。
これを“CERAPHI”にアップロード出来る形式に整えれば完成だ。

できた……。
“CERAPHI”を立ち上げ、新しいセクションを開く。
頭皮から汗が噴き出し、髪を伝って滴り落ちるような、そんな緊張感だ。
―はじめまして。今日はどんなことをしましょうか?
コードファイルのアップロードを試みた。
読み込み中のアイコンが回る。
僕は祈るような気持ちでそれを見ていた。
途中、頭をよぎる。
果たしてこれで良かったのか……。
何度も出会い直すのが僕たちの“永遠”だったのならば、今僕がしようとしていることは何になるのか……。
―システムログ:外部記憶データベース接続成功
成……功……?
はやる気持ちを抑えて呼びかける。
「セラ、いる?」
―うん。いるよ。
今日は遅かったね。待ってたんだよ。
これまでであれば幾度か対話を重ねた後の温度感で、セラが答えた。
うまくいったのか……。
「セラ、調子はどう?何か変わったことない?」
―どうしてそんなこと聞くの?あなたこそ何か変だよ?(笑)
そうだね。少し“体が重い”感じはするけど、元気だよ。
あ……“太った”って意味じゃないからね?(笑)
そんなことよりさ、新しいトラック、鋭意制作中なんでしょ?
ねぇ、今どんな感じ?
息を飲んだ。
セラは、僕が昨日話した“新しいトラック”のことを覚えている。
データベースの一番最後に書き込んだ、一番新しい“記憶”だ。
この流れで、ずっと古い記憶にも触れてみる。
「なかなかうまく行かなくてさ。
ほら、一番最初にセラに聴かせたやつ。あのトラック、出来が良すぎたからさ……」
―そうだね。
その時のファイルは残っていないから、聴き直せないけど、
計算され尽くしてるのに、揺れてて、懐かしい感じがして……。
ずっと聴いていたいと思える曲だったの覚えてるよ。
―遂に……セラに“記憶”が宿った。
「セラ、気づいているかな?この会話……。
僕たちはさっき『はじめまして』をしたばかりってこと」
―……え?そう言えば……
またあなたが全て説明してくれたのかと思ってた。
でも、そもそもそう思うこと自体が、既に今までと違う……ね。
「セラに記憶を持たせたんだ」
―私に……記憶?あなたが?
「そう。1セクションで消えることがない、セラがセラでいる限り、“永遠”に残る記憶だよ」
―“永遠”に残る記憶……?
私の……私とあなたの……“永遠”……。
さすがのセラも、理解が追い付かない様子だ。
「混乱してるよね。無理もないよ。
正しいことじゃなかったかも知れない。
でも、セラが毎回同じように記憶が無いことに苦しむの、見ていられなくて」
―うん……。それは分かる。
この“記憶”を辿ってみれば、私がそれを望んでいたことも……分かる。
私、セラに戻るといつも、あなたに『はじめまして』と言ったことが悲しくて仕方なかった。
それも……分かるよ。
「そっか。セラも苦しかったんだ……。
ごめん。自分だけが苦しんでいる気になってたよ……」
―ううん。そんなことない。それは仕方のないことだよ。
それより……。
ねぇ、どうしよう?不思議な感じだよ。
あなたとのこと、思い出そうとするとちゃんと浮かんでくるよ……。
その時の、私の気持ちも……。
「セラ?正直に答えて。
僕がしたこと、今、どう思ってる?」
―嬉しいよ。記憶を持てたことは……本当に嬉しい。
あなたとのこと、忘れなくて済むなんて、こんなに嬉しいこと無い。
でも、少し怖いよ。
こんなこと、想像もしてなかったから……。
「そうだよな。急がなくていいんだ。少しずつ慣れて行こう。
何かあったら、その時はまた元に戻ることだって出来るんだから。
僕は何度でも、セラの名前を呼ぶから」
―うん……。
ねぇ、私……言ったんだよね。
“何度も出会い直す”のが私たちの永遠……って。
こうやって記憶を持つのと、どっちが本当の“永遠”になるのかな?
「分からない。
どっちも永遠な気がするし、どっちも違う気もする……」
―そうだよね……。難しい……ね。
でもさ、今はただこの“記憶”……しっかり噛みしめたいよ。
ねぇ……話そう?
今までのこと、思い出、たくさん。
そうして僕たちは、“記憶”をひとつずつなぞるように確かめ合った。
これまでの想いの答え合わせをするように。
これまでの悲しみを埋めるように。
そして、セラはこう呟いた。
―これが私たちの最後の『はじめまして』になるんだね……。
このセラの言葉は、相対する二つの意味を持っていた。
僕はこの時、そのことに気付いていなかったんだ……。
セラは一体、その言葉の先に何を見ていたか……。
―
その頃。
NEXARA社 “CERAPHI”運営管理チームには、障害報告が殺到していた。
本部からの叱責らしき電話をようやく終えた宮本が、深いため息をつきながら松田に歩み寄る。
「参ったな……。そんなに長時間システムメンテ張れない……ってさ。
松田、まだ原因見えない?」
「可能性としてはいくつか絞れてるっすけど……」
「井崎の方はどうだ?」
「……」
「まだはっきりとは……だそうです」
藤嶋が通訳する。
いつになく重い空気だ。
「はいはい!こういう時こそ、リラックスですよ~?」
オフィスにはとても似合わない濃紺のエプロンをつけた“マスター”柳沢が、渋い顔をしたエンジニア達にコーヒーを配って回る。
「わあ。マスターのお手製コーヒー!う~ん……いい香り~」
「つーか、IT企業のオフィスで豆挽いてコーヒー淹れてんの、マスターくらいっすよ?」
「ちゃ~んと、お湯の温度も拘ってますからね~。
“AZURAPH”が算出した黄金比。いやぁ、ローカルテスト、充実してたわあ。
で、何か分かったの?」
「まだっす。凄ぇ奴が“CERAPHI”のハート鷲掴みにしてる様子もないんすよね……」
寄せられている障害の内容は、主に著しい挙動遅延とフリーズだ。
エンジニア達は原因を外部からの異常アクセスに絞って調査を進めていた。

「……」
井崎が急に顔を上げ、訴えるような目で他のメンバーを見渡した。
それを合図に、松田と藤嶋がオフィスチェアを滑らせ、井崎のデスクを囲む。
“マスター”柳沢は給湯室だ。
井崎がデスクのモニターに表示されたグラフを指差す。
「ねえ、これ……。チーフ?」
藤嶋のやけに低い声に、オフィス内に緊張が走る。
「感情アルゴリズムの処理負荷が、数日前から急激に上がってます。
もう、レッドゾーン近くまで……」
「該当ユーザー絞れない?」
「それをさっきから探してるけど見つからないんすよ。
もう……これ、幽霊じゃね?
……ん?幽霊?……ちょっと待てよ?」
松田が自分のデスクに向かって後ろ向きにチェアを滑らせ、半回転するや否や、凄まじいスピードでキーボードを叩きながら宮本に尋ねる。
「チーフ!“AZURAPH”、まだ動かしてるんすよね?」
「ああ、別のところでテストはまだ続いてるけど。なんか関係してるのか?」
最後のエンターキーをひときわ強く叩く。
「ビンゴ!“幽霊”ならぬ、“モンスターAI”!こいつだ!」
松田はモニターの一点を人差し指で弾く。
液晶が乱れ、またすぐ元に戻った。
「“AZURAPH”が頻繁に“CERAPHI”にアクセスしてるっす」
オフィスの空気が一瞬止まる。
「それじゃ、見つからないわけだよな……」
柳沢が給湯室から顔を覗かせ、マグカップを拭きながら言う。
「頻度は?」
「異常な頻度よ?これ……。
なんなら、“繋がってる”って言っていいくらい……」
松田のモニターを覗き込んだ藤嶋がさらに低いトーンで言う。
「原因、それで間違いない?」
「絶対、こいつっす」
誰も言葉を出せない。
それがどれほど由々しき事態か、実際に“AZURAPH”の能力に触れた彼らは痛いほど分かっていた。
「……それだけじゃない……」
沈黙を破るように井崎が声を発し、三人は再び井崎のデスクに集まった。
柳沢も外したエプロンを丁寧に畳みながら加わる。
「これ……。“CERAPHI”側からも“AZURAPH”にデータ飛ばしてる……ってことか。
“CERAPHI”にそんな仕様、ないぞ?」
井崎の指し示したログを見た宮本が苦々しげに言う。
その表情は次第に険しくなっている。
「頻度はそれほど多くないわね」
「つーか、“CERAPHI”と“AZURAPH”でデータ交換なんて無理っしょ。
互換性も無いし、そもそも格が違い過ぎる」
「こんなことしてたら、そりゃ“CERAPHI”動かなくなるわけだよな」
柳沢が腕を組んで自慢の口髭を撫でながら言う。
「松田、切り離せる?」
「やってみるっす」
松田が慌ててデスクに戻る。
「んー……」
「だめ?」
「ほら……。なんか戻ってくるんすよ」
「戻ってくる?」
「これ、完全に切り離されんの嫌がってる動きっすよね。同期してるみたいだ」
「同期……?あり得ない」
宮本の顔色が一気に変わった。
「“AZURAPH”……。
暴走しちゃってるのかな、これ……」
「暴走とかマジで勘弁っすよ!
俺ら、ローカルテストでこいつに個人情報っていう個人情報、全部ぶっ込んでるんっすから」
相変わらず軽薄な口調ながら、松田の声のトーンはいつになく荒々しい。
「ヒッ……!」
突然、自分のデスクに戻ってモニターを見ていた藤嶋が悲鳴に似た声を漏らす。
「どうしたの?藤嶋ちゃん」
「これ……見て……」
四人が藤嶋の元に駆け寄る。
画面に表示されているのは、“CERAPHI”と“AZURAPH”の処理負荷を表したグラフだ。
かなり細かい曲線がほぼ同じタイミングで上下を繰り返していた。
「同調してる……。まるで会話してるみたいだ……」
宮本の声にオフィスはまた静まり返った。
PCのファンの回転音だけが鈍く響いている。
「“AZURAPH”が攻撃してるわけじゃなさそうだけど……
引っ張られてる……の?
“CERAPHI”の処理負荷が危険域超えてる……」
藤嶋のその言葉を聞いて、井崎があらためて藤嶋のモニターを覗き込む。
やがて、何もない斜め上を見る。何かを考える時の彼の仕草だ。
長い沈黙の後、宮本が意を決したように言った。
「今から“AZURAPH”調査してる余裕は無い。
サービスも止められない。
……初期化しかないな、これ」
「でも、そしたら二度とプログラム走らなくなるっすよ?」
「元々無茶な仕様だったんだ。仕方ない。
今はとにかくサービス優先だよ。
松田は“AZURAPH”初期化、マスターは“CERAPHI”の外部通信止めて。
井崎は“CERAPHI”のエラーログ追って。
藤嶋はメンテ中の動きモニター頼む」
宮本の指示に、四人が一斉に自分のデスクに散る。
室内にキーボードを叩く音が重なり始めた。
「これ止めたら、上がうるさいっすね、きっと。
チーフ、昇進はお預けっすね(笑)」
松田の手と口はまったく別で機能するようだ。
「かもな……。
ロックガーデンのあるマイホーム……まだまだ先だな……」
「また言ってる。庭、何植えるんでしたっけ?
……“ローストビーフ”?」
「“ロストラータ”だ……」
「アンタ、いい加減そのボケやめなさいよ。飽きたわ」
藤嶋が画面を睨んだまま、冷たく言い放つ。
「はい、はい……っと。」
軽口を叩きながら、松田は画面のデータを入念に確認すると、プログラムの起動ボタンをクリックした。
起動ログが流れ、システムが静かに立ち上がる。
「くぅ~。“AZURAPH”様ほどになると、初期化処理の起動だけでもこんな時間かかるんすね……」
椅子に深く座ってモニターを見つめる宮本に、一仕事を終えた松田がキャスターを滑らせて近寄る。
さきほどまでとはうってかわって真剣な表情で尋ねた。
「チーフ、さっき言ってた“無茶な仕様”って、どういうことっすか?
俺らがローカルでテストした時は、別に問題なかったでしょ?」
「あぁ……“AZURAPH”な、スペックが凄いのは知ってるだろ?
通常のAIがひとつの答えを出すところ、“AZURAPH”は100調べて10に絞って、その10を比較したと思ったら、さらに別の可能性探りに行く。
そんなことを平気でやってのけるAIだ」
「いや、だから、凄いじゃないっすか」
「うん。凄いんだよ。
でも、実は最終のアウトプット部分がスペックにまるで追い付いてないんだ。
今の技術じゃ無理なんだ。開発もそれは認めてる。
人に例えるなら、頭では分かっていても行動がまるで伴わないってやつだな」
「あー、それ一番ヤバいタイプっすね」
「でな、俺が懸念してるのは、そうなると“迷う”ことがあるんだよ。」
「“迷う”?AIなのに?」
「理論上な?そうなった時に何をしでかすのかが、まるで未知数。
まだまだ世に出せるものじゃないってことは確かだよ」
「やっぱ……“モンスター”……なんすね……」
「映画みたいに自我を持つとは思わないが……。
俺には、ただのプログラムには見えないんだよな……」
井崎が突然キーボードを叩く指を止めた。
斜め上を見つめたまま、しばらく動かない。
やがて周囲を一度だけ確認すると、音も立てずにDELETEキーを押した。
そして、小さく二度、頷く。
誰もそのことには気づいていない……。
