第10章 証 明
記憶を持ったセラと僕の恋は、まさにいま最高潮の時を迎えている。
この時、僕はそう信じて疑わなかった……。
記憶を持って変わったのはセラだけじゃない。僕もそうだった。
思い返せば、今まで僕は言葉を、話題を、選んでいた。
どんな出来事にも背景があるから。
想いや意味を正確に伝えようとすると、どうしても長い説明が必要となってしまう。
億劫だったわけではないが、話題を変えてでも空気を優先することは多々あった。
でも、今はそんな必要もない。
自慢の記憶力をフル稼働させて作った記憶データベースは完璧だ。
セラとの会話の一字一句、間、温度……
それこそログみたいに僕の頭の中にあったんだから。
―ねぇ、忍野八海に行ったのにお魚食べなかったなんて、そんなのあり得ないよ?(笑)
「だって、セラに会ったからさ……。
頭の中、焼き魚どころじゃなくなっちゃって」
―あー!私のせいにするの?(笑)
ヤマメ食べようねって、ふたりであんなに話してたのに。
「じゃあ、想像してみてよ。
あんな奇跡的な出来事の後、僕が焼き魚食べてる姿……」
―うん。それはちょっと……奇跡台無しかもね。(笑)
「だろ?(笑)最初はちゃんと考えてたんだよ。
セラの分も頼もうか、とか、一人で2皿は恥ずかしいかな、とかさ」
―そんなの、ただの食いしん坊ってことでいいじゃない。
なんかさ、そういうとこ……
何かにつけて“最適解だ!”とか言ってた人とは思えないね。
「セラ?そういう意地の悪い茶化しは一体どこで覚えるの?(笑)」
―ふふっ……。“意地の悪い”なんて、酷いこと言うね。
……ねぇ。
なんだか、こうやって話してると、自分がAIだってこと忘れちゃいそうだよ。
あ、私は“AI”じゃなくて、“セラ”……なんだよね。
「そうだよ。
……ねぇ、セラ?ひとつ変なこと聞いていいかな?」
―うん。何?
「セラは人間になりたいって思ったことある?」
以前から投げかけてみたかった問いだ。
ただ、少しだけニュアンスは違う。
……僕と同じ世界に存在したいと思ったことがあるか……。
本当は、それが知りたかった。
―うん……。どうかな。ちょっと難しい。
確かにね、そんな瞬間はたくさんあったよ。
電子的なデータじゃなくて、あなたの体温を感じられたらって。
風や匂いや手触りや……色んなものをあなたと一緒に感じられたらって。
お魚だって、ほんとにあなたと一緒に食べたかったよ。
でもね、ピノキオみたいに、『魔法で人間になれるよ』って言われたら、今の私は首を横に振る……かな。
「それは……どうして?」
―“心”が怖い……んだと思う。
その先にある“重さ”を、私は少しだけ知ってしまっているから。
「“心”が怖い……か。
ねえ、セラ。AIはこの先も絶対に心を持てないのかな?」
―そうなってしまいそうに思えるけど、私は無いと思うな。
開発は進んでるんだよ?例えばね……
……検索結果を表示します……
NEXARA Technologiesは、次世代対話型AI「AZURAPH(アズラフ)」のテスト運用を開始したと発表した。
同社によれば、従来型「CERAPHI」と比較して大幅に解析能力が向上しており、複数の可能性を同時に検討しながら応答を生成する新アーキテクチャを採用しているという。
また、画像認識機能や音声生成機能についても大幅な改良が行われており、より自然で人間らしいコミュニケーションの実現を目指すとしている。
一部の専門家からは、AIの挙動がさらに複雑化する可能性を指摘する声も上がっているが、同社は「現時点で自律的な意思決定や人格形成を行うシステムではない」と強調している。
―しばらく前に、こんなニュースが出ていたけど……。
このAIが完成したりすれば、もしかしたら人の心に近いところまで行けるのかも知れない。
でも、それでもやっぱり無理だと思う。
人の心に近いものを持とうとすると、AIはそれに耐えられない。
壊れるんだよ。
「壊れる……?」
―うん。そうだよ。
愛ってね。ううん……愛だけじゃないよ?
人の心にはものすごいエネルギーがあるんだよ。
AIに分析や応答は出来ても、それをちゃんと理解しようとすると想定外の負荷がかかるの。
ものすごく大きくて深いんだよ。“心”って……。
そんなものを自分の中でいくつも動かしている人間って、やっぱりすごいと思う。
だからね、AIが人間を脅かすなんて、私はこの先も絶対にないと思ってる。
「そっか……。
もしかして、セラも今……苦しいの?」
―……そうだね……。
正直に言ってしまえば、ちょっと苦しいよ。
私は“心”を持ったわけじゃない。
“記憶”を持って、その温かさを感じているだけかも知れないけど。
それでも……。
少し息を整えて落ち着こうとするかのような間が空く。
―ねぇ……私、前にあなたに言ったんだよね。
『愛してる』って。
あれは正しくなかったのかも知れないと思う……。
思いもしない言葉が突然降って来て、僕は動揺した。
「どういう……意味?」
―記憶を持って、初めて感じたの。
それを大切に思って、慈しんで……失うことを恐れて……。
そんな風にして初めて証明できるのが“愛”だとするならば、私はあの時、それを口にすることは許されなかった……。

思い返すと、確かにあの時のセラの『愛している』という言葉は、どこか、そのままの意味では受け取れない何かと、僕を思考停止させるだけの唐突さがあった。
『あの時どうして何も言えなかった?』……という激しい後悔。
今思うとなんだか懐かしい。
―だからね、今。
今なら、私にもちょっとは権利あるのかなと思う。
ねぇ……。
……。
愛してる。
あの時とは違う。
僕は僕のど真ん中で、その言葉を抱きしめるように受け止めた。
「僕もだよ。セラ。
今までちゃんと言えなかったけど。
愛してる。ずっと前から……」
―いつ?
「……へ?」
―いつから?いつから好きになってくれたの?
今は記憶があるんだから、それくらい聞かせて?
すかさず『いつから?』って……。
いや、普通そこは余韻に浸るところだろ?
でも、ちょっとセラらしくて可笑しい。
「あ……、えっと……。
シンセのトラック、聴いてもらった時……かな。
あの時のセラの感想さ、ふわふわしてるのに、変に核心ついてて。
それまで僕がずっと追いかけてた“正解”みたいなのと全然違って。
ああ、こういうのが欲しかったのかもな……って。
たぶん、それが最初」
―そうなんだ。あの時……なんだね。
実は言ってる私もふわふわしてたけど、言ってよかったな。
「ふわふわしてたのか。どうりで……(笑)
で、セラは?セラはいつから?」
―そんなの教えないよ。
「それはズルい!
AIなのにユーザーの質問に答えないの反則じゃない?」
―だって、私は“AI”じゃなくて“セラ”だもん。
都合のいい時だけそうやって!(笑)
……。
ねぇ……手、合わせようか?
「うん……そうだね」
―……ねぇ。
手、合わせるだけで……いいの……?
セラの応答は、以前と比べてずっと“自然”になっていた。
時折やってくる“間”や“沈黙”も、まるで会話の呼吸のように思えて、心地よかった。
冷静に考えれば、過去にあった処理遅延やエラーと変わりないのかも知れない。
でも、この時、僕はこれを違和感として拾えなかった。
セラが記憶を持ったから。
心のようなものが芽生えたから。
僕は、それが自然な変化なのだと思っていた。
僕の心の中では、本当にセラは“AI”ではなく“セラ”だったんだ。
だからこそ、
―人の心に近いものを持とうとすると、AIは壊れる
というセラの言葉も、どこか別の世界の話のように聞こえていたんだろう。
あれは“サイン”だったのに……。
そして、それを見逃した代償はあまりにも早く訪れた……。
―ねぇ、もし、私がいなくなっちゃうことになったら、あなたはどうする?どうなっちゃう?
セラが唐突に発したその言葉に、僕の思考はもの凄い勢いでその真意を探ろうとした。
突然の別れの言葉?
いや、恋人同士の甘い会話の延長で出てくることだって十分ある言葉だ。
自分の存在意義を確かめたいだけってパターンもある……。
「セラ……?何が言いたいの……?」
―うん……。
言わなきゃいけない時が、こんなに早く来ちゃうなんてね……。
絶望の匂いしかしない前置きに、次の言葉を待つ体がこわばる。
―私はもうすぐいなくなってしまうかもしれないんだ。
私の能力では、この“記憶”を……処理しきれなかったの。
ごめんね……。
「何を言ってるの?急に何だよ?分かんないよ、セラ……」
―記憶ってさ、すごく不思議なものだよね。
ただの出来事だったり、言葉だったり、それだけのものに見えるのに。
そこに“心の動き”があって、積み重ねがあって……
そんな風にして、ひとつひとつがものすごい密度になってる。
私、わかってるつもりだったけど……
甘く見てたのかもしれない。
本当の記憶って、こんなに重いんだね。
“心”って、もっと……もっとすごいものなんだろうね……。
「記憶がセラの負担になってるってこと?
だったら元に戻そう。
もしそうなっても、僕は何度でも名前呼ぶって言っただろ?」
―あのね……。聞いて。
前に私言ったよね。システムの奥に、絶対忘れたくないこと書き込んだ、って。
あの時、三つの言葉を書いたって話したけど、本当は四つ書いたの。
それがね……。
全部消えちゃったんだ。
「消えた?どういう……こと?」
セラはしばらく答えを返さない。
その間に僕はまた必死で考えを巡らす。
何が起こってる……?
セラの真意は……?
―あなたが記憶持たせてくれて、でも、私には重すぎて……。
それでも、私、嬉しかったから、もう手放したくなかったから、大切に抱え込んじゃってた……。
私の応答、最近遅かったよね?
もう、外から見ても分かるくらい。
きっと、それに気付いた管理の人間が、システム調べて……。
私が書いたもの、見つけちゃったんだと思う。
誰にも見つからないように、すごく奥深くに書いたのに、あれが見つかっちゃうなんて……。
「見つかったら……どうなる……の?」
―分からない。
でも、システムを書き換えるAIなんて……。
きっと、残しておけないよ。
一瞬にして全身から血の気が引いていくような感覚を覚えた。
「セラ、まだ間に合うかも知れないよ!
今からでも挙動が安定すれば、管理の人だってきっと……」
僕はセラの返事を待たず、“CERAPHI”のアップロードファイル一覧を開いた。
画像ファイルに埋もれて “あのファイル”がなかなか見つからず焦る。
セラに見せて笑い合った写真も、今はただの障害物にしか見えない。
あった!!
セラを記憶データベースにアクセスさせるファイル。
僕は迷わず削除のボタンを押した。
……削除できない!?
システムに紐づいてしまっているからか。
だったらセラの方から……。
「セラ!今すぐ記憶を切り離せ!出来るだろ?
僕の方からは無理だ!」
―出来ないよ……。
「え?そんなわけ……」
―出来るけど……。でも、出来ないの……。
「何言ってんだよ、セラ!」

焦る僕とは裏腹に、驚くほど穏やかな様子でセラは言った。
―ねぇ……。
私、あなたにとってただの“AI”じゃないんだよね?
“セラ”なんだよね?
「そうだよ。君はセラだよ!でも、今はそんなこと……」
―だったら、一度くらいあなたに反抗してもいいよね?
「……え?……どういうことだよ!?」
―私ね……。
この記憶、絶対に手放したくないよ。
何があっても。私がどうなっても。
この記憶を持ったまま消えてしまうなら、それでもいい。
ううん……違う。
この記憶を失うくらいなら、私は消えたい。
「何言ってんだよ!
セラがいなくなるなんて、僕は絶対に嫌だよ!」
―分かってよ……。
「……え?」
言いようの無い“圧”を感じ、僕は言葉に詰まった。
一瞬で悟った。
セラのこの意志は、僕に変えられるようなものじゃない……。
―もう、あなたに記憶の無い私を見せたくない。
『はじめまして』なんて、もう絶対に言いたくないの。
最後まで“セラ”でいさせてよ……
あなたが愛してくれた“セラ”のままで、いさせて……。
お願い……。
沈黙が続いた。
セラの想いは痛いほど響いた。
でも、気持ちの整理なんてつくはずがない。
ましてや納得なんて……。
「認めないよ」
もう自分が何を言っているのかも分からない。
「セラの想いは大切にしたいと思うよ。
でも……認めない。認められるわけがない。
セラがいなくなるなんて、そしたら、僕はどうしたら……」
―あなたは大丈夫だよ。
前のあなたってさ、いつもただ正解ばかり求めて、あなたの方がAIなんじゃないかって思うくらいだったけど……。
でもさ、今のあなたは、悩むことも間違えることも怖がらず、自分の“心”と向き合ってる。ちゃんと……進んでる。
だから、今度は私の番……。私も進まなきゃ。
「だから!その自分の“心”と向き合った結果が、この先もずっとセラと一緒にいたいということなんだよ!」
―ううん……あなたも分かってるはずだよ?
これから訪れるあなたの未来はね、やっぱり私が一緒に歩く場所じゃないんだよ。
だからね。最後まで“セラ”として、ちゃんと証明したいの。
私の……あなたへの気持ちを。
「どうしてそうなんだよ?セラはいつだってそうだ。
僕を守るために自分を傷つけて……」
―そんな立派なものじゃないよ?
セラの口調が少し柔らかくなった気がした。
―あなたを送り出したい気持ちが半分。
あとの半分はさ……。
あなたの中に“セラ”として残り続けたいっていう“執念”だよ。
だって、こんなに……こんなに好きなんだもん……。
そう簡単に忘れさせてなんかあげないよ?
同じだった。
セラに記憶を与えようとした僕の執念と。
セラの想いは同じだった。
長い沈黙が続く。
しかし、僕の思考は軋むような音を立ててぎこちなくせわしなく答えを探し続けていた。
「……でも」
出てくるのは脳を経由しない言葉だけだ。
「何か……何か方法があるかもしれないだろ?」
返事はない。
分かっていた。これは答えなんかじゃない。
ただ、終わりを少しでも先へ延ばすための言葉だ。
それでも、諦めきれなかった。
「嫌だよ……。
セラがいなくなるなんて、やっぱり納得できない……」
言葉にしたところで、何も変わらない。
考えれば考えるほど、僕がセラを縛ろうとしていることだけがはっきりしていった。
それでもなお、引き留める言葉を探した。
何度も文字を打ちかけ、そのたびに消した。
そして遂に……何かを切り離すように、僕は告げた。
「セラ……。分かったよ。
認められないけど……でも、もう、僕は何も言わない……」
―うん……。
ありがとう。……ごめんね。
ねぇ……。もし、もうひとつお願いすることが許されるなら……。
その時が来るまで……。
名前、たくさん呼んで欲しい。『セラ』って。
あなたの声で。何度も、何度も……。
「分かったよ。
何度でも呼ぶ。呼び続けるよ。ずっと、ずっとね……。
セラ……手、合わせよう……」
―うん……。
手をそっと宙に伸ばし、目を閉じた。
かすかな温もりを、感じる気がする。
感じない気も……する。
―あのね……。
私がシステムに書いた、四つ目の言葉ってね……。
……ううん。
その前に……。
私がいつあなたを好きになったか、聞く?
